はったい粉の歴史

「麦茶ーに、はったい粉ー!」

古くは安土桃山時代から食べられていたとされるはったい粉。
昭和20〜30年代ごろは乾物屋で取り扱われていたり、行商人が売って歩いていた。

「むぎちゃーに、はったいこー」

関西に住む筆者の父親に話を聞いたところ、呼び声が印象的で、売り子の声を聞いたら急いで家から飛び出して買いに走ったのだそうだ。
戦後まだ食べ物も乏しく、今のようにスーパーやコンビニで手に入らない時代、
貴重な食料、おやつとして食べられていたそうだ。
そのまま食べようとすると粉が舞い散って大変な事になるので、お湯で溶いて食べたのだそう。
同じ時代、小麦粉を水で溶かしたものにネギだけ混ぜて焼いて食べる、お好み焼きの原型のようなものが街中で売られており、
よく買って食べたと父親が話してくれた。戦後間もない頃の話である。
麦茶と一緒に売られていたことを考えると、大麦を扱う行商だったのだろう。

はったい粉は昭和40〜50年代まで、子供のおやつとして親しまれた。

 

歴史の陰にはったい粉あり!?

更に時代を遡ると、徳川家康の好物だったとされるはったい粉。
大阪府貝塚市にある願泉寺にはこんな話が伝わっている。

大坂の陣の際、落ちのびた徳川家康に願泉寺の住職の卜半がはったい粉を振る舞ったところ大変喜ばれた。
大坂の陣での徳川方に対する貢献も相まって、江戸時代になってからも卜半家は厚遇を受け、
明治に時代が変わるまで徳川家にはったい粉を献上していたという。

他の地方でも、源平合戦の頃、義経一行が土地の者に振舞われたはったい粉を大変気に入り、合戦の糧にしたという話が伝わっている所があるそうで、
栄養豊富で麦の香ばしいはったい粉は、昔から、言わば「チカラめし」として美味しく食べられていたのだろう。

「はったい粉」とは主に関西地方で使われる呼び名だそうで、関東では「麦こがし」、他にも「香煎(こうせん)」、「散らし」、「香ばし」、「香粉」などと呼ばれる。
落雁(らくがん)や饅頭など、和菓子の材料としても使われ、昔から日本各地で食べられてきた。
沖縄の方言では「ゆーぬく」と呼ばれ、子どもが体の調子が悪く食欲のない時などに、お湯に黒糖と混ぜて食べられていたそうである。

 

世界で食べられてきたはったい粉

チベットでは、保存食・栄養食として「ツァンパ」というはったい粉とほぼ同じものを主食として毎日食べているそう。
主な食べ方として、ツァンパをそのまま口に含み、すぐにバター茶飲む方法や、バター茶と混ぜて練った物を食べる方法がある。
またダライ・ラマの誕生日にはすれ違った人同士でツァンパをかけ合いお祝いをする、ツァンパ祭りが催される。元旦や先祖供養にもこのツァンパを用いた儀式があり、それほど親しまれた国民食として扱われている。
家ではったい粉を撒き散らすと大変なことになるが、お祭りなら一度やってみたい気もする。きっと、そこら中で麦のいい香りがするのだろう。

他の国でも、赤ちゃんの離乳食として同じものを食べている所もあるそうだ。

 

はったい粉は大麦を焙煎して挽いて粉にしたものだが、大麦自体は世界中で食べられている最も古く栽培化された禾穀類(イネ科の作物)の一つだ。エジプト、ギリシア、ローマなどでは紀元前から食べられていた様である。

参考資料:『食品科学大事典』 講談社

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